河北潟

湖南大橋から望む河北潟

湖南大橋から望む河北潟

 河北潟は石川県のほぼ中央に位置し、金沢市、津幡町、内灘町、かほく市にまたがる県内一の大きな潟です。古くは蓮湖(れんこ)、大清湖(たいせいこ)とも呼ばれ、文学に詠まれたり、舟遊びに興じる人々に親しまれたりしてきました。平安時代には、既に河北潟を利用した物資の輸送、特に米の運搬が盛んとなっており、漁場として、水上輸送路として、人々の暮らしを支えてきました。
 河北潟の埋立、干拓(かんたく)の歴史は古く、1673(延宝元)年の加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)による約3ヘクタールの新田開発に始まり、小規模な埋立が何度も繰り返されてきました。1849(嘉永2)年には、金石(金沢市)の豪商銭屋五兵衛(ぜにや・ごへい)が230ヘクタールの埋立による巨大な新田開発に着手しましたが成功せず、工事が難航する中で1852(嘉永5)年に起きた河北潟投毒疑獄事件による銭五の獄死はあまりにも有名です。
 以来、悲願となっていた干拓事業は近代に入って再び着手されましたが、1964(昭和39)年8月の起工から1985(昭和60)年5月の完工までに、実に20年もの歳月を要しました。干拓前は汽水湖(きすいこ=海水と淡水とが混じり合っている湖)だった河北潟では、ウナギやワカサギ、シジミなどの漁業が行われていましたが、現在は淡水湖(たんすいこ)となり、干拓地では大豆や麦、野菜、果物などの栽培や酪農が行われています。
 県内でも有数の野鳥の宝庫である河北潟では、1990(平成2)年1月12日に津幡町の町鳥に制定されたハクチョウを始め、ガンやカモ、チドリなどの渡り鳥が多く見られ、バードウォッチングにも最適な場所となっています。また、コイやフナ、ヘラブナなどが釣れ、太公望(たいこうぼう=釣りの好きな人)にはこたえられない釣り場となっています。湖南大橋から望む河北潟の朝日や夕焼けは、古来からの変わらぬ美しさを保っています。

所在地 河北潟
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を左折し、県道59号線に入ります。「太田」交差点を右折し、そのまま直進すると、河北潟東部承水路に架かる「湖南大橋」に着きます。



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