中橋久左衛門の碑



 津幡町中条地区の浅田区に、灌漑用水の設置に尽力した中橋久左衛門(なかばし・きゅうざえもん)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。久左衛門は江戸時代中期の井上組十村(とむら)で、津幡中橋村に生まれ、浅田村に住んでいました。笠野組十村だった父九兵衛の仕事を支え、1709(宝永6)年に父の後を継ぎ、十村役となりました。算数に強く、田の測量が巧みでした。
 当時、津幡地内には荒れ果てたり開拓されていない所が多く、また、開拓した所でも灌漑や水利が悪く、五穀(米・麦・粟・豆・黍または稗のこと)の実らないことが度々ありました。久左衛門はこれを憂いて、時の改作奉行に建議(けんぎ=意見を申し立てること)し、宝永・正徳の頃(18世紀初頭)、初めて浅田用水を開きました。水路は2里余り(約8キロ)に渡り、上は河原市(金沢)より下は津幡・庄・舟橋にまで達していました。現在の河原市用水(森下川で取水し津幡川に注ぐ農業用水)で、その後、津幡川以北の水路は廃止されました。また、津幡ため池・加茂ため池・御門(みかど)ため池・大谷堤(つつみ)を築きました。
 1728(享保13)年に羽咋郡千代村へ引越十村を命じられ、この地でも4つの堤を築いています。1730(享保15)年にその職を解かれ、1745(延亨2)年に浅田村に戻り住み、1750(寛延3)年にその生涯を閉じました。彼の功績を称えて、1925(大正14)年に彼が住んでいた浅田村に石碑が建てられました。現在も、浅田区で毎年8月19日に中橋久左衛門の法要が行われています。
十村:他藩でいう大庄屋に相当するもので、加賀藩の村支配を代行する村役人組織の頂点に立つ役職。
改作奉行:農政・収納を任務とする奉行。

所在地 〒929-0324 石川県河北郡津幡町字浅田
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を超えると、「浅田」交差点に出ます。そこを右折し、県道215号線に入ります。浅田集落に入る最初の道の左角に、「中橋久左衛門」の石碑が建つ丘があります。



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