猿ヶ馬場の祠

倶利伽羅山頂の猿ヶ馬場に建つ「猿ヶ堂」

倶利伽羅山頂の猿ヶ馬場に建つ「猿ヶ堂」

 津幡町倶利伽羅地区の原区に、倶利伽羅山頂の猿ヶ馬場(さるがばば)に建つ「猿ヶ堂(さるがどう)」にまつわる伝説が残っています。
 その昔、原に甚兵衛(じんべい)という子供のいない炭焼きの夫婦がいました。ある時、山で泣いている子ザルを拾って帰り、自分の子供のように可愛がっていました。1年、2年と経つうちにサルはすっかり利口になって、人の言葉もわかり、炊事の手伝いもするようになりました。その後、その家に赤ん坊が生まれました。赤ん坊はどんなにむずがっていても、お湯で行水させると気持ちよく手足を動かしていました。
 ある日、甚兵衛はサルに留守を頼んで山に出かけました。サルは赤ん坊と遊んでいましたが、そのうち赤ん坊は火のついたように泣き出しました。すっかり困ってしまったサルは、お湯で行水させると喜ぶことを思い出し、湯をわかし、タライに赤ん坊を入れたところが、お湯かげんを知らなかったため、やけどをさせて死なせてしまいました。
 山から帰った夫婦はこれを見て腰をぬかさんばかりに驚き、カンカンに怒ってナタを振り上げました。やっと自分のしたことが分かったサルは、目に涙を浮かべて見上げました。甚兵衛はさすがに、サルを殺すこともできずに追い出すのが精一杯でした。
 山に帰ったサルは日がたつにつれてボスザルとなり、畑を荒し旅人を困らせるなどいたずらばかりしました。そこで、殿様にお願いして、戸田影切(とだ・かげきり)という剣豪(けんごう=剣の達人)にサルを退治してもらうことになりました。影切は「お前は人に育てられた恩も忘れて、悪事をするとは何事だ。お前を退治に来たが、悪い事をしたと思って、いさぎよく殺されるなら、その心に免じて祠(ほこら)に祀(まつ)ってやるから、早く降りてこい」というと、サルは甚兵衛夫婦に可愛がられたことを思い出し、今までの悪事を悔いて、木から降りてきました。
 この素直なサルを見た影切は、可愛そうになりましたが、その首を討って帰り、ありのままを殿様に報告し、約束通り小さな祠を建てたのが、猿ヶ堂であるといわれています。また、1782(天明2)年の仲秋(ちゅうしゅう)に猿ヶ馬場において、越中戸出の俳人沢田蚕臥(さわだ・さんが)は「梨喰ふ 越の猿聞け 加賀の人」と詠んでいます(倶利伽羅地区の伝説「猿ヶ馬場の祠」の話より引用)。
 同集落の長谷川重次家は、甚兵衛の末裔といわれています。同家には、赤ん坊をやけどさせ死なせてしまったお詫びに、サルが持ってきたといわれる馬の鞍が残っていますが、残念ながら損傷が激しく一般公開していません。また、このサルを祀った「猿ヶ堂」の辺りには、峠を登ってきた馬がたくさんつながれていたところから「猿ヶ馬場」と呼ばれるようになりました。

所在地 〒929-0421 石川県河北郡津幡町字原
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アクセス JR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を超えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「刈安」交差点を直進すると、すぐ右側に原に入る道があります。そこを右折し、しばらく行くと、Y字路に出ます。そこを左に入り、集落の突き当たり左側にある古民家が「長谷川家」です。「猿ヶ堂」が建つ「猿ヶ馬場」は、倶利伽羅山頂の小矢部市側にあります。



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