倶利伽羅古戦場

倶利伽羅古戦場にある「火牛の計」モニュメント

倶利伽羅古戦場にある「火牛の計」モニュメント

 石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠は、1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。中でも、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』に記された木曽義仲(きそ・よしなか)による「火牛の計(かぎゅうのけい)」はあまりにも有名です。
 1183(寿永2)年5月11日、平家軍の総大将、平維盛(たいらのこれもり=清盛の嫡男重盛の長男)は、倶利伽羅山中の猿ヶ馬場(さるがばば)に本陣を敷いて、7万余騎の軍勢とともに木曽義仲率いる源氏軍を待ち構えていました。一方、義仲は埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)で戦勝祈願を行った後、平家の動きに合わせて味方の軍を7手に分け配置させ、夜が更けるのを待っていました。夜半に北側の黒谷の方角から、400から500頭もの牛の角に松明(たいまつ)を付け、4万余騎の軍勢とともに平家の陣に突入しました。昼間の進軍で疲れ切っていた平家軍1万8千余騎は、源氏軍の奇襲に混乱し、何もできずに追い詰められ、人馬もろとも地獄谷に突き落とされました。
 「火牛の計」以外に、義仲を勝利に導いた興味深いエピソードが『源平盛衰記』に記されています。深い谷を背に身動きが取れなくなった平家軍の前に、白装束の人影が30騎ほど現れ、谷の方向に向かっていきました。これを見た平家軍は落ち延びる道があるのかと思い、我先に谷の方角に向かい、上からどんどん馬や人が重なり圧死しました。深い谷は死骸で埋め尽くされ、谷川は血で赤く染まり、やがて死骸から流れ出た膿が下流に流れたといいます。こうして、谷は「地獄谷(じごくだに)」と呼ばれ、「膿川(うみがわ)」と呼ばれる谷川は小矢部川に流れ込んでいます。「白装束」の幻影は、義仲が戦勝祈願した埴生八幡宮の八幡大菩薩のおかげとされています。
 津幡町河合谷地区の上河合区に、「火牛の計」にまつわる郷土芸能「牛舞坊(うっしゃいぼう)」が伝承されています。「火牛の計」で徴収された牛の冥福を祈るために、農民たちが藁(わら)で形作った「牛」を引きながら舞ったのが、始まりだと伝えられています。「牛舞坊」は、毎年行われる上河合区の秋祭りで披露されていました。また、同集落の河合谷ふれあいセンター「祭事の館」でも再現、展示されています。
 津幡町には、平家伝説が数多く残っています。河合谷地区の牛首(うしくび)・木窪(きのくぼ)の両区を始め、津幡地区の平谷(へいだん)や英田(あがた)地区の菩提寺区は、平家の落武者が村の開祖と伝えられています。また、平谷には平知度(たいらのとものり=平清盛の7男)の墓とされる首塚が残っています。菩提寺から近い「上矢田温泉・やたの湯」は、義仲に敗れた維盛がこの湯を見つけ、傷を癒(いや)したのが始まりとされています。
 倶利伽羅峠から小矢部市側に入ると、源平合戦の舞台となった史跡がたくさんあります。
◆埴生護国八幡宮
 戦いに行く前に、木曽義仲が戦勝祈願した神社。倶利伽羅峠の東側に位置し、1300年余りの歴史を誇る。倶利伽羅合戦以降、「勝ち運の神」として、戦国時代には佐々成政(さっさ・なりまさ)が、藩政期には加賀藩前田家が厚い信仰を寄せた。
◆矢立(やだて)
 義仲軍の最前線だったところ。幅300メートルほどの谷を隔てた塔の橋から、平家軍が矢を放ち、ここに多くの矢が立ったことから「矢立」と呼ばれる。
◆塔の橋(とうのはし)
 平家軍の最前線だったところ。西の矢立山に陣取る義仲側の今井兼平(いまい・かねひら)軍に向かって矢を放ったところ。
◆源氏ヶ峰(げんじがみね)
 平家軍の陣地だったこの峰を義仲軍が占領したので、この名が付けられたという。源氏軍の女武将、巴御前がこの峰から猿ヶ馬場の戦場に攻め込んだ。
◆猿ヶ馬場
 平家軍の総大将、平維盛が本陣を敷いたところ。
◆中黒坂(なかくろさか)
 義仲軍が本陣を敷いたところ。ここから猿ヶ馬場の戦場へ向かった。

所在地 〒929-0413 石川県河北郡津幡町字倶利伽羅
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ホームページ 津幡町観光ボランティアガイド「つばたふるさと探偵団」ブログ『義仲講座』
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森集落の入口で、この坂道は歴史国道「北陸道」と重なり、倶利伽羅山頂まで続きます。山森、倶利伽羅の集落を過ぎると、左手に最初は「倶利迦羅不動寺」入口、次に「倶利伽羅権現石殿」に続く「百八坂」が見えます。さらに街道を上っていくと、「倶利伽羅古戦場」といわれる一帯に着きます。



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