倶利伽羅公園

八重桜の名勝として知られる「倶利伽羅公園」

八重桜の名勝として知られる「倶利伽羅公園」

 石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠には、3基の万葉歌碑が建つ倶利伽羅公園があります。1981(昭和56)年7月6日に建立された3基の歌碑には、747(天正19)年5月2日に掾(じょう=三等官)の大伴池主(おおとものいけぬし)が越中守だった大伴家持(おおとものやかもち)に贈った長歌1首と短歌2首(万葉集巻17)がそれぞれ刻まれています。家持から贈られた別離の歌に答えて、後半の部分で「刀奈美夜麻(となみやま)多牟氣能可味个(たむけのかみに)奴佐麻都里(ぬさまつり)」と、池主は奈良の都に旅立つ家持の旅の無事を祈りながら、手向(たむけ)の神を詠んでいます。倶利伽羅峠は、源平合戦の頃まで礪波山(となみやま)と呼ばれていました。
 園内の一角には、長楽寺(ちょうらくじ)の中興の祖と称される秀雅上人(しゅうがしょうにん)の墓を始め、長楽寺代々の住職を祀(まつ)った墓も10基ほど建っています。さらに、同公園造成時に、石動城代(いするぎじょうだい)家老、篠島織部清了(ささじま・おりべきよのり)の墓も発見されています。
 倶利伽羅山(標高277メートル)の頂上付近にある同公園は、八重桜の名勝として知られ、人気のお花見スポットです。毎年4月末には公園一帯の約6,000本の八重桜が咲き誇り、「倶利迦羅さん八重桜まつり」が開催されます。期間中の4月28・29日には、倶利迦羅不動寺山頂境内で「厄除け念仏赤餅つき」が行われ、古来より疫病の難から逃れられると言い伝えのあるつきたての念仏赤餅が参拝者に配られます。秋には、鮮やかな紅葉を満喫できます。河北潟や日本海などが眺望でき、散策に最適の公園です。
 同公園一帯の見事な桜並木は、「昭和の花咲かじいさん」と呼ばれた高岡市の高木勝己氏が、奥さんとふたりで1959(昭和34)年から私費で植栽したのが始まりです。高木さんは1934(昭和9)年、倶利伽羅峠で自動車の故障により30メートルの崖下に自動車もろとも転落し、自動車は大破しましたが、不思議にも高木さんとその助手は全くの無傷でした。そして時が過ぎ、1959(昭和34)年の1月、3晩続けて枕辺に不動明王が立たれ「今、倶利迦羅はさびれており人々が訪ねて来ないので寂しい。何とか賑やかにしてほしい」との度重なるお告げがありました。こうして高木さんは事故で九死に一生を得たのは不動明王のお陰だったと悟り、この地を加越の吉野山にとの悲願を立てられ、ご恩返しとして桜苗木1万本を目標に植え続けました。以来、20数年間に渡って約3,000本の八重桜を植え続け、現在ではそれを受け継ぎ、約6,000本の八重桜が咲き誇ります。

所在地 〒929-0413 石川県河北郡津幡町字倶利伽羅
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森集落の入口で、この坂道は歴史国道「北陸道」と重なり、倶利伽羅山頂まで続きます。山森、倶利伽羅の集落を過ぎ、左手に見える「倶利迦羅不動寺」をさらに過ぎると、右側に「倶利伽羅公園」の駐車場があります。街道を挟んで向かい側には、「倶利伽羅権現石殿」に続く「百八坂」が見えます。



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