倶利迦羅不動寺

日本三不動尊の一尊を奉る「倶利迦羅不動寺」

日本三不動尊の一尊を奉る「倶利迦羅不動寺」

 石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠には、約1300年の歴史を持つ倶利迦羅不動寺(山頂本堂)があります。成田不動尊(千葉県)、大山不動尊(神奈川県)と並び、日本三不動尊の一つとして知られ、縁日の28日には県内外から多数の参詣者が訪れます。地名にもなっている「倶利迦羅」は、「剣に黒い龍の巻きついた不動尊像」という意味のインドのサンスクリット語に由来します。
 倶利迦羅不動寺の創建は、718(養老2)年に元正(げんしょう)天皇の勅願により、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師が倶利迦羅不動明王(ふどうみょうおう)の姿をそのまま彫刻し、奉安したのが始まりと伝えられています。この本尊が安置された奥之院は3年に1度開扉され、大法要が営まれます。
 それから約100年後の812(弘仁3)年に、弘法大師(こうぼうだいし)が諸国を巡る途中で、不動明王を拝まれ、あまりの有難さに扉を閉めると、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として安置されました。この時、別当寺(べっとうじ)として長楽寺(ちょらくじ)が開山されたといわれています。その後、不動信仰の長楽寺と「手向(たむけ)の神」を祀(まつ)る手向神社が習合していったと考えられます。この「御前立不動尊」は現在、本堂に安置されています。
 1183(寿永2)年の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い、多くのお堂や寺宝、記録などが焼失しましたが、その後、源頼朝(みなもとのよりとも)によって再興されました。戦国時代の天正年間(1573〜1592年)には衰退し、廃寺同然となりましたが、江戸時代の寛永年間(1624〜1644年)に秀雅上人(しゅうがしょうにん)が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛しました。
 江戸末期の1836(天保7)年に門前の茶屋から出火し、山門や不動堂が焼失しました。再建されないまま明治維新を迎え、1899(明治2)年に明治政府の神仏分離令によって、長楽寺は廃され、手向(たむけ)神社となりました。その当時の仏像類は金沢市の宝集寺(ほうしゅうじ)、小矢部市の医王院、津幡町倉見の専修庵(せんしゅうあん)などに譲渡されました。
 廃寺から50年後の1949(昭和24)年に、高野山の金山穆韶(かなやま・ぼくしょう)大僧正の尽力により、長楽寺跡に堂宇が再建され、倶利迦羅不動寺として復興されました。奥の院の不動堂は、旧高松小学校(現かほく市)の御真影奉安殿(ごしんえいほうあんでん)、本堂は旧金沢卯辰山忠魂祠堂(ちゅうこんしどう)を移築したものです。以後、次第に道路や寺観を整えて、現在に至っています。
 1998(平成10)年10月10日には、倶利迦羅不動寺の西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)が竹橋(たけのはし)地区に復興されました。平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた、左右75メートルの壮大な木造建築となっています。
 境内にはかつての長楽寺跡を始め、同寺には津幡町指定の文化財が数多く残っています。また、倶利伽羅峠の沿道から移された三十三観音の4体、「おまん伝説」のおまん地蔵も境内に安置されています。
◆長楽寺跡
1963(昭和38)年5月10日 津幡町文化財(史跡)指定
◆羅漢像
1965(昭和40)年11月1日 津幡町文化財(絵画)指定
 明代の画家、呉偉(ごい)の作品で、絹布に画かれ、表装も中国のものといわれています。明代中期(15世紀後半)の作で、長さ1.3メートル、幅0.67メートルです。
◆十一面観音像
1965(昭和40)年11月1日 津幡町文化財(絵画)指定
 掛軸として表装された彩色絵画像で、鎌倉時代初期の頃のものとされています。長さ1.42メートル、幅0.41メートルです。
◆古文書・頼朝下文(くだしふみ)
1965(昭和40)年11月1日 津幡町文化財(古文書)指定
 1183(寿永2)年の源平合戦で焼失した長楽寺の要請により、1196(建久7)年10月9日の日付をもって源頼朝は遠江守重頼(とおとうみのかみしげより)にこの文書を与えて当地に派遣し、堂塔伽藍(どうとうがらん)を再建し、寺領を寄進し、将軍家の祈檮所としたといわれています。
 源氏の総領である頼朝からの寄進状は、徳川家(新田源氏)と姻戚関係になった前田家には効果があったようで、加賀藩3代藩主前田利常が不動堂、二王堂の建立を発願する際に、この下文が長楽寺を庇護する拠りどころとなったものと考えられます。書体等から見て、この下文は江戸時代のものと思われますが、荒れ果てた当時の長楽寺の再建を語る資料として貴重なものです。
◆菩薩階段
 1段ごとに諸仏諸菩薩の種子石が納められており、六根清浄と唱えながら登ると、心身ともに清浄になってくるといわれています。六根清浄とは、欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになるという意味です。
◆水かけ不動尊
 参詣者が身を清めて参拝するために、「倶利迦羅不動寺」発祥の不動ヶ池から引いた浄水を、自分の身代わりになってくれる不動尊像にかけます。
◆施無畏堂(せむいどう)
 施無畏とは、降りかかる災害を払いのけ、恐れや不安をなくすという意味です。奥の院の拝殿で、信徒の奉納した万灯籠(まんとうろう)が普(あまね)く一切を照らしています。
◆厄除錫杖(やくよけしゃくじょう)
 智杖(ちじょう)、徳杖(とくじょう)ともいい、最高の位を持つ杖です。この錫杖を持ち上げ「南無不動明王」と唱えて3度振ると、前途の諸々の苦厄を払いのけ、身を守ってもらえるといわれています。
◆奥の院
 開祖、善無畏三蔵が倶利伽羅山で自ら彫刻し、護摩法を修した倶利迦羅不動明王像が安置されており、3年毎にご開扉され、大法要が行われます。
◆五重の塔
 高さ約8メートルの朱色の塔は、全ての諸仏諸菩薩を迎来する塔で、本尊は金剛界大日如来です。塔下は写経室で、信徒の書いた写経や写経石が納められています。
◆和光塔
 明治元号施行100年を記念して建立された白亜の塔には、大日如来と修行大師が安置されています。内部周辺のレンガの下には四国八十八箇所の砂が納められ、塔の周りを一周することによって、八十八箇所全てを巡った御利益があるとされています。
◆念仏赤餅つき
 毎年4月下旬に、八重桜の名所として知られる倶利伽羅峠一帯で、「倶利迦羅さん八重桜まつり」が開催されます。期間中の4月28・29日には、倶利迦羅不動寺山頂境内で厄除け念仏赤餅つきが行われ、古来より疫病の難から逃れられると言い伝えのあるつきたての念仏赤餅が参拝者に配られます。
 念仏赤餅つきのいわれは、その昔、倶利伽羅山頂で悪さをする猿たちに、そこを通る旅人たちはほとほと困っていました。ある日、和尚さんにお不動様からのお告げがあり、赤く塗った餅を猿たちに与えたところ、猿たちはそれをおいしそうに食べ、それからというもの二度と悪さをしなくなったそうです。以来、このお餅はお不動様の霊験あらたかな「厄除けのお餅」とされ、今日に受け継がれています。
 同寺境内の食堂では、倶利伽羅名物「倶利迦羅そば」をご賞味いただけます。

所在地 〒929-0413 石川県河北郡津幡町字倶利伽羅リ2
お問い合わせ先 倶利迦羅不動寺 山頂堂
電話番号 076-288-1451
ホームページ http://www.kurikara.or.jp
アクセス JR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を超えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森集落の入口で、この坂道は歴史国道「北陸道」と重なり、倶利伽羅山頂まで続きます。山森、倶利伽羅の集落を過ぎると、左手に「倶利迦羅不動寺」入口が見えます。街道を挟んで向かい側には、「倶利迦羅不動寺」の駐車場があります。



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