御手洗の池

聖徳太子にまつわる伝説が残る「御手洗池」

聖徳太子にまつわる伝説が残る「御手洗池」

 津幡町倶利伽羅地区の北横根区に、聖徳太子にまつわる伝説が残る「御手洗池(みたらしいけ)」があります。この池にはかつて、聖徳太子像が石棺に入れて水中に沈められていました。像は現在、砺波市宮村の景完教寺(けいかんきょうじ)に奉(たてまつ)られ、年に1度御開帳される秘像です。木造で高さ約50センチの孝養像(こうようぞう=父の病気平癒を願う16歳の聖徳太子像)です。
 1300年前後に同寺を開いた僧了通が、太子像を奉持し横根村(現在の北横根)に隠住していました。戦国時代に戦乱を避けて、この像を越中の同寺からゆかりの北横根へ運びましたが、追っ手が迫り、やむを得ず石棺に入れて池の底に隠したと伝えられています。その後、天正年間(1573〜1592年)に太子像は池から引き上げられ、14代明法が油田中村(砺波市)に移った後の慶長年間に移奉したといわれています(倶利伽羅地区の伝説「聖徳太子像お隠れの池」の話より引用)。
 浄土真宗の開祖親鸞上人(しんらんしょうにん)は、夢の中に現れた聖徳太子の啓示を受けて悟りを開いたと伝えられることから、真宗王国の北陸では聖徳太子像が多数残されています。津幡町笠谷地区の吉倉区にある聖徳山光楽寺(しょうとくざんこうらくじ)や、英田(あがた)地区の領家(りょうけ)区にある広済寺(こうさいじ)には、伝説が残る聖徳太子像が安置されています。

所在地 〒929-0432 石川県河北郡津幡町字北横根
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、県道215号線に入ると、すぐ右側に「萩野台小学校」の案内板が見えます。そこを右折し、県道212号線を進み、仮生でY字路を左折すると、県道214号線に入ります。そのまま道なりに進み、相窪を過ぎ、北横根に入ると、右側に「御手洗の池」の案内板が立っています。



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