菩提寺の板碑とベンケイ石

菩提寺跡の「仏坂」

菩提寺跡の「仏坂」

 津幡町英田(あがた)地区の菩提寺区は、標高242.24メートルの菩提寺峰の南東斜面に位置する集落です。地名から分かるように、その昔、菩提寺という真言宗の大きな寺がありました。1584(天正12)年に佐々成政(さっさ・なりまさ)が末森城を攻めた時、上田名村(うわだな=現かほく市)にあった道満寺(どうまんじ)とともに兵火に遭って焼失しました。今も菩提寺跡には、仏坂(ほとけざか)・三経石(さんきょういし)・三郎塚(さぶろうつか)・行者屋敷(ぎょうじゃやしき)・堂屋敷(どうやしき)・宮谷(みやのたに)などの地名が残っています。
 集落から興津に通じる山道に通称「仏坂」があり、その途中に高さ75センチ、幅69センチの板碑(いたび)が祀られています。板碑の表面には、金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)の種子(しゅじ)「バン」が刻まれています。この板碑は海から上がった神様を祀(まつ)ってあり、この地区を火から守っていると伝えられています。
 菩提寺峰の西斜面には、弁慶伝説が残る「ベンケイ石」と呼ばれる巨岩があります。高さ7メートル、周囲が22メートルもある大きな立石です。その昔、弁慶がこの石を担いで、鼻血を出したといわれています。また、JR七尾線が敷設される時、この「ベンケイ石」が検地(けんち)石としてダイナマイトで砕かれそうになりました。しかし、姉妹石の「笠石(かさいし)」を砕いた時、地区に病人が相次いだため、この「ベンケイ石」とその下に住むといわれている片目の白蛇のたたりを恐れて、この石を残すことになったそうです(英田地区の伝説「菩提寺とベンケイ石」の話より引用)。同集落からさほど遠くない河合谷地区の上大田区にも、「弁慶の岩」と呼ばれる大きな石があります。
 集落北方には、昭和の戦前まで使われていた石切り場跡があります。家屋の土台石に使われる石が大量に切り出され、村は当時、40軒あまりの家と酒屋があったほど、活気があったそうです。
 津幡町には、平家伝説が数多く残っています。同集落を始め、河合谷地区の牛首(うしくび)・木窪(きのくぼ)の両区や津幡地区の通称「平谷(へいだん)」は、倶利伽羅源平合戦に敗れた平家の落武者が村の開祖と伝えられています。同集落から近い「上矢田温泉・やたの湯」は、木曽義仲(きそ・よしなか)に敗れた平維盛(たいらのこれもり)がこの湯を見つけ、傷を癒(いや)したのが始まりとされています。
種字:密教などで如来・菩薩などを一文字の梵字(ぼんじ)で表したもの。

所在地 〒929-0308 石川県河北郡津幡町字菩提寺
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アクセス 津幡町市街地から県道59号線に入り、かほく方面に進みます。「英田北」交差点で右折し、県道221号線を河合谷方面に進みます。種集落を過ぎると、左手に菩提寺に行く坂道が見えます。そこを左折し、道なりに坂道を上っていくと、菩提寺集落に着きます。村に入ると、右側に駐車スペースがあり、さらに奥に進むと、右側に「白山神社」があります。そこを左折し、菩提寺峰に続く山道を上っていくと、右手に「ノースダイヤモンド株式会社」の看板が見えるY字路に出ます。そこを左折し、林道を入ったところに「ベンケイ石」があります。「仏坂」に行くには、「白山神社」のところを曲がらずに、さらに奥に進みます。Y字路に出たら、右手に見える坂道が「仏坂」です。「板碑」はその坂道を登った途中にあります。



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