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八尾屋
 かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道沿いのおやど商店街には、河合見風(かわい・けんぷう)宅跡「長寿庵」以外に、商家「八尾屋(やつおや)」の古民家も残っています。八尾屋安太郎は津幡中橋村出身の商人で.....続きを見る>>

八尾屋
矢田我柳句碑
 津幡町津幡地区の庄区にある住吉神社には、俳人矢田我柳(やた・がりゅう)の句碑が建っています。我柳は1812(文化9)年に津幡町庄の造り酒屋、矢田与三吉の3男として生まれ、名前は吉五郎といいました。 .....続きを見る>>

矢田我柳句碑
洲ざき家の芭蕉句碑
※洲ざき家の「ざき」は、「崎」の大が立の漢字です。  津幡町太田の旧北陸道沿いにある洲(す)ざき家の庭には、俳聖(はいせい)松尾芭蕉の句碑が建っています。句碑の正面には、1698(元禄11)年に発刊.....続きを見る>>

洲ざき家の芭蕉句碑
一騎討ち跡
 歴史国道「北陸道」の難所の1つである「前坂」を抜けて、さらに先を進むと、街道は尾根に沿って伸びています。城ヶ峰(じょうがみね)とも呼ばれる龍ヶ峰(りゅうがみね=標高194メートル)から400メートル.....続きを見る>>

一騎討ち跡
七野墳墓群
 津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)の裏山に、七野墳墓群(しちのふんぼぐん)があります。全12基から成る弥生時代末期の遺跡で、2・3・4.....続きを見る>>

七野墳墓群
秀雅上人堂
 長楽寺(ちょうらくじ)の中興の祖と称される秀雅上人(しゅうがしょうにん)は、1547(天文16)年に倶利伽羅の百姓左兵衛の子として生まれ、幼少の頃から越中の安居寺(あんごじ)の秀海阿闍梨(しゅうかい.....続きを見る>>

秀雅上人堂
宿駅「竹橋」
 歴史国道「北陸道」の出発点である竹橋(たけのはし)村は、1615(慶長20)年に加賀藩から交通と物資運搬の拠点に指定された宿駅(しゅくえき=宿場)として栄えました。倶利伽羅峠への中継宿として格付けさ.....続きを見る>>

宿駅「竹橋」
乗光寺発祥の地
 津幡町倶利伽羅地区の相窪(あいくぼ)区に、源義経(みなもとのよしつね)に従い木曽義仲(きそ・よしなか)追討の宇治川の戦いで、先陣争いをして有名な佐々木四郎高綱(ささき・しろう・たかつな)が創建した乗.....続きを見る>>

乗光寺発祥の地
前坂権現
 歴史国道「北陸道」の出発点である道の駅「倶利伽羅源平の郷・竹橋(たけのはし)口」から出発し、かつての宿場町、竹橋宿を抜けて山に向かうと、急勾配の「前坂(まえさか)」に出ます。大勢の兵士が身を隠せる急.....続きを見る>>

前坂権現
道番人屋敷跡
 津幡町竹橋(たけのはし)から倶利伽羅峠に伸びる歴史国道「北陸道」を挟んで、龍ヶ峰(りゅうがみね)城址公園の向かい側に「道番人(みちばんにん)屋敷跡」が残っています。現在、2戸の屋敷跡は龍ヶ峰城址公園.....続きを見る>>

道番人屋敷跡
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