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山王神社の老杉
 津幡町英田(あがた)地区の能瀬区にある日吉神社は、古くは「山王さん」と呼ばれ、1587(天正15)年8月に内灘の小濱(おばま)神社より遷座(せんざ=神仏の座を他の場所に移すこと)されました。同神社の.....続きを見る>>

山王神社の老杉
広済寺の聖徳太子像
 津幡町英田(あがた)地区の領家(りょうけ)区にある広済寺(こうさいじ)には、聖徳太子にまつわる伝説が残っています。現在は修正会(1月1日)と太子御忌(たいしぎょき=3月21・22日)にご開帳があり、.....続きを見る>>

広済寺の聖徳太子像
御門屋敷跡と龍ヶ口井戸跡
 津幡町英田(あがた)地区の能瀬、御門(みかど)の両区は順徳上皇(じゅんとくじょうこう)ゆかりの地で、それにまつわる伝説が残っています。  1221(承久3)年、承久(じょうきゅう)の乱に敗れた順徳.....続きを見る>>

御門屋敷跡と龍ヶ口井戸跡
加茂神社と桂清水
 津幡町英田(あがた)地区の加茂区はその昔、京都の賀茂神社の荘園で、ここで採れた米を京都まで運んでいたといわれています。その関係で、後にこの地に加茂神社が建てられ、加茂と呼ばれるようになりました。加茂.....続きを見る>>

立の宮の杉
 津幡町笠谷地区の杉瀬(すぎのせ)区に、かつて7軒の民家があった、通称「七ッ屋(ななつや)」と呼ばれる地区があります。この七ッ屋にある立の宮(たちのみや)神社には、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)にまつ.....続きを見る>>

立の宮の杉
薬師堂
 津幡町笠谷地区の鳥越区からさらに山あいに入って行くと、のどかな山里の風景が広がる中に宮田区があります。この集落には、古くから伝わる伝説「精舎池(せいじゃいけ)」の小さな祠(ほこら)「薬師堂」が残って.....続きを見る>>

薬師堂
鳥越弘願寺跡のハリギリ・アテ
 津幡町笠谷地区の鳥越弘願寺(とりごえぐがんじ)跡にある大黒主(おおくにぬし)神社の西側から南側にかけて、L字型に土塁(どるい=土を積み上げて築いたとりで)が残っています。その土塁の上に、弘願寺の頃か.....続きを見る>>

鳥越弘願寺跡のハリギリ・アテ
倉見鉱泉
 津幡町笠谷の温泉施設「ウェルピア倉見」は、1874(明治7)年に開湯した倉見鉱泉を利用しています。同敷地内の駐車場脇にある源泉の傍らには、源泉を守るかのように小さな祠(ほこら)が建っています。赤黒い.....続きを見る>>

倉見鉱泉
杉瀬墓地の三十三観音
 江戸時代末期に倶利迦羅不動寺までの道標と旅人の安全を祈願して、倶利伽羅峠の沿道に三十三観音像が安置されていました。そのうちの3体は、杉瀬集落の旧北陸道沿いに安置されていました。明治初年の神仏分離令に.....続きを見る>>

杉瀬墓地の三十三観音
聖徳山光楽寺の聖徳太子像
 津幡町笠谷地区の吉倉区に、明応年間(1492〜1501年)の創建と伝えられる「聖徳山光楽寺(しょうとくざんこうらくじ)」があります。寺名から分かるように、同寺には聖徳太子にまつわる伝説が残っています.....続きを見る>>

聖徳山光楽寺の聖徳太子像
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