河合見風句碑

津幡町出身の俳人「河合見風」句碑

津幡町出身の俳人「河合見風」句碑

 かつて津幡城がそびえていた、旧北陸道を見下ろす標高15メートルの小高い大西山に、俳人河合見風(かわい・けんぷう)の句碑が建っています。その隣には、見風自身が尽力した歌人の「為広(ためひろ)塚」も建っています。
 見風は1711(正徳元)年に津幡宿の商家に生まれ、名前は河合屋理右衛門(かわいや・りうえもん)といいました。34歳で家業の旅籠(はたご)と米屋を営み、居村(いむら)組合頭を勤め、その傍ら、俳諧(はいかい)を学び、人々から「俳諧の長者」と称えられていました。また、諸国の俳人と広く文通し、金沢の並木町に庵室を構え、加賀八家(かがはっか)前田土佐守直躬(まえだ・とさのかみなおみ)と親交を持ちました。
 見風は倶利伽羅山の猿ヶ馬場(さるがばば)にある芭蕉の句碑「寝覚塚(ねざめづか)」や越中氷見の「有磯塚(ありそづか)」を建て、1765(明和2)年には為広の子孫、冷泉為村(れいぜい・ためむら)と前田土佐守直躬とともに「為広塚」を再建しました。
 1783(天明3)年に73歳でその生涯を閉じた見風を偲(しの)んで、1967(昭和42)年4月に、津幡俳壇によって句碑が建てられました。句碑には「はつなすび それから花の さかりかな 見風」が刻まれています。
 見風の屋敷はかつての津幡宿だったおやど橋の近くにありましたが、その屋敷跡には現在、酒井家所蔵の「長寿庵」が建っています。
加賀八家:加賀藩の家老で、1686(貞享3)年、5代藩主前田綱紀の時、藩の職制改革の際に定められた。江戸時代を通じて世襲し、加賀藩の執政を務めた。

所在地 〒929-0326 石川県河北郡津幡町字清水
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を曲がらずに直進し、次の「南中条」交差点を右折し、旧北陸道の町道に入ります。そのまま直進し、津幡川に架かる「おやど橋」を渡ると、「四ツ角」交差点に出ます。そこを直進し、正面奥に見える坂道を上ると、左手に「津幡城跡」の案内板が見えます。そこを右折し、さらに奥に進むと、「為広塚」の横に「河合見風」句碑があります。



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