木窪の宮谷

「宮の神様」があったかつての宮谷

「宮の神様」があったかつての宮谷

 津幡町河合谷地区の牛首(うしくび)区からさらに山あいに入って行くと、牛首同様、平家伝説が残る木窪(きのくぼ)区があります。同集落には宮谷(みやだん)・宮地(みやぢ)・宮山(みややま)・堂屋敷(どうやしき)・御手洗池(おてあらいいけ)など、由緒ある地名が数多く残っています。集落入口の古民家の裏山には、1907(明治40)年まで白山神社(神明宮)がありましたが、その跡地は今も「堂前(どうまえ)」といわれています。木窪という地名の由来についても、伝説が残っています。
 その昔、牛首の宮地に住んでいた宮の別当職(べっとうしょく=寺の住職)は、宮が衰退したので、木窪村に移住することになりました。当時の村の家は、屋根を草葺(くさぶき)に、壁を茅葺(かやぶき)にしたものでした。しかし、別当職の家は、屋根も壁も垣根までもことごとく木の皮で作られていました。村人たちはその家を「木の皮坊(きのかわぼう)」と呼び、その家のあるところまでも「木の皮坊」と呼んだそうです。後に、それが転じて「木窪」と呼ばれるようになったといわれています(河合谷地区の伝説「木の皮坊と木窪」の話より引用)。
 その昔、倶利伽羅源平合戦に敗れた平家の落武者が「宮谷」というところに宮を建て、「宮の神様」と呼んでいたそうです。また、「堂屋敷」という少し広いところがありますが、そのやや前方に少し低い平地があります。今も湧き水の出る場所があり、そこは「御手洗池」といわれています。
 「御手洗池」からさらに奥の谷間を「宮谷」といい、その少し高く広くなっているところが「宮地」です。かつて別当職が住んでいた場所ではないかと、そこを掘り起こしたら瓦くずや陶片(とうへん)などが出てきたそうです。さらに、「宮山」というところでも、田んぼを掘り起こしたら陶片や瓦くずが出土したそうです。だから、ここは「一の宮」のあった跡地ではないかともいわれています(河合谷地区の伝説「堂屋敷・宮谷・宮地・御手洗池」の話より引用)。
 津幡町には、平家伝説が数多く残っています。津幡地区の通称「平谷(へいだん)」や英田(あがた)地区の菩提寺区も、平家の落人が村の開祖と伝えられています。菩提寺から近い「上矢田温泉・やたの湯」は、木曽義仲(きそ・よしなか)に敗れた平維盛(たいらのこれもり)がこの湯を見つけ、傷を癒(いや)したのが始まりとされています。

所在地 〒929-0302 石川県河北郡津幡町字木窪
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アクセス 津幡町市街地から県道59号線に入り、かほく方面に進みます。「英田北」交差点で右折し、県道221号線を河合谷方面に進みます。そのまま道なりに進み、興津峠を越えると、国道471号線に入る三叉路に出ます。そこを右折し、左手に見える下河合集落を過ぎると、県道74号線に入る三叉路に出ます。「牛首」の道路標識に従って左折し、牛首・木窪集落を過ぎると、右手に入る小道があります。そこを曲がり、木窪川に架かる小さな橋を渡ると、「木窪大滝」から伸びる遊歩道に出ます。そこを右折し、木窪集落に向かって左側の山手一帯が「宮谷」「宮地」などと呼ばれているところです。



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